ミラーガラスと石の
モダンな球体
堂島薬師堂
堂島薬師堂は今から1400年余り前の推古天皇元年(593年)、勅命により聖徳太子が最初の官寺となる四天王寺を造営した際、難破した資材運搬船が漂着した洲(しま)に「堂宇」を建てたのが起源と伝えられ、「なにわの守護」として古くから信仰を集めてきました。「堂島」の地名はこのお堂が由来で、国内最古のお堂の一つと言われています。かつては堂島薬師堂には井戸があり、その水を汲んでお薬師さんにお供えする慣わしがありました。
戦後、毎日新聞社が増築した際、敷地内に祀られていた薬師堂を敷地東向いの社有地に移設しました。そして、堂島アバンザを建設するにあたり、奈良・薬師寺と地元の堂島薬師堂奉賛会の要請もあり、かつてあった場所に戻りました。
以前の御堂は瓦屋根の日本的な建物でしたが、現在の御堂は、現代的なビルと調和を図るため、ミラーガラスと石で構成したモダンなデザインとなっています。形はミラーガラス127枚を組み合わせた直径7mの球状です。球体は無限に広がる宇宙や天体、そして如来像の永久的なイメージを感じさせます。外装の銀色のガラスは、御本尊として祀っている薬師瑠璃光如来にあやかっています。「瑠璃」は「ガラス」の意味があります。
御堂の周囲には水鏡のような円形の池(直径20m)を巡らせ、池には蓮の花を模したオブジェが配置されています。池に囲まれた正面には、堂島薬師堂奉賛会から寄贈された「合掌」をモチーフとした燭台アート、さらに欄干を兼用したベンチが設置されています。街角からビルへのアプローチとして木製ブリッジ、対面には「コブシ」の大木があります。橋は御堂への参道、コブシは鎮守の森をイメージしています。

春の風物詩
節分お水汲み祭り
2004年3月19日、大阪キタの活性化と水都大阪の再生のため、この堂島薬師堂で「第1回堂島薬師堂お水汲み祭り」=写真・毎日新聞社提供=が奉賛会主催で開かれました。関西経済同友会や北新地の商店会関係者、経済界合同の企画によるもので、当日は薬師寺の本尊にある井戸から汲み出した「お香水」と堂島薬師堂で汲んだ水を薬師寺の僧侶が参拝者の竹筒に注いで無病息災、商売繁盛などを祈願しました。

翌年より、地域に伝わる節分行事と融合する形で、現在の「堂島薬師堂節分お水汲み祭り」となり、以後回を重ねて堂島・北新地の「早春の風物詩」として定着してきました。
例年は、堂島薬師堂での節分法要にはじまり、奈良薬師寺で祈祷された「お香水」を汲む「お水汲み」があり、薬師堂から放たれた7体の鬼が堂島北新地を徘徊、鬼追い(節分)で1年の厄を祓います。節分(鬼追い)で1年の厄を払い、早春の若水をいただき、福を授かるという水の都大阪の新春にふさわしいお祭りです。
堂島アバンザ1階の特設舞台では、薬師寺僧侶たちによる日本の歌謡の原点といわれる「声明(しょうみょう)」と北新地の芸妓衆による舞いが奉納されます。夜には、堂島薬師堂に祀られる弁財天の化身の「龍」が堂島北新地を巡行し、北新地の女性達による「お化け」(仮装) がつづきます。また、巡行には「北新地クイーン」も加わり花を添えます。

